でき太レボリューション

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「5つの自分で」その1

自分で学習の準備の意味

「自分で学習の準備」には、「やらせ勉強」を回避し、子ども自身が勉強の主人公であるという意識を育てていく目的があります。
「やらせ勉強」というのは、親やまわりの大人に「勉強をしなさい!」といわれながら、イヤイヤシブシブする勉強のことを指します。
イヤイヤシブシブする勉強では、机の前に体はあっても「心ここにあらず」という状態になります。これでは学習したことは水をザルですくうようにこぼれてしまいます。

また「やらせ勉強」では、「嫌なことをさせられている」という意識が子どもにはありますから、わからない問題に対するこだわりも生まれてきません。
「ぼく(私には)無理。わかんない」といって、すぐに匙をなげてしまいます。
このような中身のないイヤイヤシブシブする勉強は、学習成果が全く上がらないだけでなく、「勉強嫌い」を作るという意味で、最悪の勉強の仕方といって良いでしょう。

その意味では、「できる子」を育てていく上での重要なポイントは、いかに「やらせ勉強」をなくし、子ども自身が勉強の「主人公」となるようにリードしていけるかということになります。

さて、お子さんによっては、毎日の勉強の課題をおうちの方が用意してあげているケースがありますが、これは「やらせ勉強」になりやすいので注意が必要です。
子どもの学習の準備を毎日してあげる方の心の中には、わが子には「できる子」になってほしいという強い願望があると思います。これは、親であればだれもが抱く気持ちです。

しかし、ここで私たちが知っておかなければいけないのは、学習の準備してあげるという行為が、子どもの学習に対する依存度を高めるだけでなく、「勉強をたくさんしてほしい!」という親の一方的な強い願望も子どもに伝わることになるということです。

子どもも低学年のうちは、親の一方的な強い願望を受けても課題を消化していくことができますが、成長とともに自我が発達してくると、だんだん親の言うことを聞かなくなり、素直に勉強に取り組まなくなってきます。
「勉強したの?」、「うるさいな!これからやるよ!」というような会話が頻繁にご家庭であるのは、親の一方的な強い願望から「やらせ勉強」になっていってしまった典型的なケースといえるでしょう。

ところで、お子さんによってはそのような強い願望を受けても、問題なく毎日課題を消化していくケースもあります。自我が芽生える時期になっても、さほど反発もせず、親が準備した課題等を消化していくのです。

しかし、このようなお子さんも、高学年になり学習する内容が難しくなってくると、とたんに伸び悩むようになってきます。
なぜなら、このケースも、いつも親に学習の準備をしてもらっていることで、子どもは人にやってもらうのが当たり前の依存的な体質になってしまい、自分で考え、自分で勉強するという主体性を失ってしまうため、「課題を消化すればそれで良い」という形だけの勉強になり、学力は伸び悩んでしまうのです。

逆に、毎日自分で学習の準備しているお子さんは、親の一方的な強い願望を受けることがほとんどありませんから、「やらせ勉強」になりません。
「自分で学習の準備をする」という日々の経験から、「自分の学習だから自分で準備するのは当たり前」と感じるようになってきます。

なぜそのように感じるのかといえば、「自分で準備」をするお子さんは、学習の準備を親にしてもらっているお子さん以上に、自分が学習にかかわる割合が多いからです。
学習に「自分」がかかわればかかわるほど、学習面における自立度は向上し、子ども自身が勉強の「主人公」であるという意識につながるのです。

はじめて「5つの自分で」を目にする方は、自分で勉強の準備をするか、しないかというのは、一見大した問題ではないことのように思われるかもしれませんが、それを自分でするか、しないかで、子どもの学習成果は大きく違ってくるのです。

まず、勉強がよくできるお子さんを育てていくには、「やらせ勉強」をなくし、「自分が学習の主人公」なのだという意識を育てることがとても大切です。
「自分で学習の準備ができるかどうか」は、その意識をしっかりと育てていく上でとても重要な条件なのです。